藤原 祐太(ふじわら ゆうた)

コバヤシ接骨院・鍼灸院 施術主任

脚の痛み・スポーツ障害の専門家

お客様写真

1984/08/06 生まれ 広島県出身

柔道整復師・ 鍼灸師
裸足ランニングクラブ大阪会員

趣味:テニス、ウォーキング、ランニング 皿洗いと洗濯物を畳みながらTV視聴

座右の銘:
□踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々(阿波踊り)
□歩きながら考えることである。考えながら歩こうとすれば、歩くことはできない。 (加藤諦三『行動してみることで人生は開ける』)

4 人家族で息子が 2 人いるPTAの会長でもあります!

誕生から幼少期

3 人兄弟の末っ子として、母の実家の広島で誕生。
『次こそは女の子!』という両親の期待を華麗に裏切り男子として誕生。
2人の兄達を見ながら、どこに行っても落ち着きのないくらい活発な男の子に育ちました。

そんな 4 歳のある日、高熱を出し母に病院に連れられ、即入院を告げられます。
検査の結果、『小児ネフローゼ』という腎臓の病気であることがわかりました。

 命に別状があるのでは?という両親の心配を他所に、医者からは『成長とともに腎臓も育ち、病気は快方に向かっていくでしょう。』という予後を提示されました。

 幸い、命の危機に陥らずには済みましたが、ここから私の少年期は、この病気との長い付き合いとなります。

 塩分を抑える食生活、激しい運動は避けること。
当時活発だった私には苦痛の毎日です。

 両親が毎日、生活を整えていてくれても、よく熱を出し入退院を繰り返しました。

それでも、なんとか身体の成長とともに病状も軽減していき、小学校の卒業の頃には薬の服用は終了、通院も終了する程に良くなりました。

中学生から高校生

病気が改善した中学生になると、私はテニス部に入り毎日運動をする様になりました。

それまで公園でキャッチボールもやってこなかった私は、上達も遅く、試合に出ても負けてばかりでした。
鈍臭い動きで怪我も繰り返し、重度の足関節や膝十字靭帯の損傷、など脚はボロボロになりました。

それでも、療養時代のように寝込まないで済むだけで嬉しかったです。

 しかし、この頃は、漫画やゲームも魅力的に感じ、負傷している関節を固定している間などは安静を口実に夜更かしも増え不規則な生活が続きました。
このような生活の乱れから、体調は不安定になり、ついには自分の転機となる病気を発症します。

施術家を志す転機

18 歳のある日、それは突然やってきました。

 朝起きて顔に何か違和感を感じます。
『ん?なんかおかしいな?』
口を閉じようと思っても閉じられない。目も強く閉じられない。

これはおかしい、と思い、鏡を見ると、恐ろしく顔の半分が歪んだ自分がそこにいました。

 両親に急いで相談。両親もびっくりして、急いで病院に行くことに。

そこで伝えられた結果は『顔面神経麻痺』でした。

 病院では薬を出され安静を指示されましたが、同時に『日に日に良くなりますが、完全に治るかどうかは約束できません。』という事実を突きつけられます。

 ずっとこのままだったらどうしよう・・・。

よくなると聞いてホッとしましたが、完全には治らないという言葉が耳に残り、しばらく不安で眠れませんでした。

 そんな私のために、父と祖母が普段からお世話になっている鍼灸師の先生を紹介されます。

その先生は、うつ病や糖尿病を改善させたこともあるという、とても腕のいい鍼灸師でした。

 初めての鍼に怖さを感じていましたが『なおるためなら』と、背に腹は変えられません。

藁をもすがる想いで、その先生を頼ることにしました。

 その先生は、盲目のおじいちゃん先生で、とても優しい先生でした。

はじめは私も緊張していましたが、その先生の柔らかい手から伝わる安心感から、次第に緊張もほぐれ、私は施術中にたくさんの話をするようになりました。

 中でも印象的だった言葉は「私は鍼でなおしてるんじゃないよ。」 というセリフでした。

 その先生が言うには「自分の身体を治すのは患者さん自身。自分はそのお手伝いをしているに過ぎない。今の身体の不調を作っているのも、今まで成長して来れたのも、今までの生活自体が作り出している。」ということです。

 この言葉によって気付いたのは、過去の病気を乗り越えて腎臓が強く成長して来られたのは両親の作ってくれた日常のおかげだということ。

この事実から、私は両親への感謝とともに、 先生の言葉と考え方に感銘を受け、施術家を志す様になりました。

専門学校生から施術家へ

高校卒業後、鍼灸の専門学校に進学すると同時に鍼灸接骨院でアルバイトを始めました。

目の前の患者さんに対して、アルバイトの私は師匠の指示通りの施術補助をすることが主な仕事でした。
この臨床補助の経験が生きてか、専門学校での日々の授業や試験勉強、国家試験の勉強もとても楽になった記憶があります。

6 年間の養成所での訓練を終え、私は国家資格を取得し、施術家として一人前に。
そして日々の実力が認められ、施術現場の管理を任される様になって いきました。

そんな時、独立開業していた先輩から「一緒にやらないか?」と実力を見込まれヘッドハンティング。

新天地では1年ほど仕事の流れを経験し、約10 年間、院長を務めることになりました。

 ここではオーナー自体がいい意味での放任主義だったため、とてもいい経験をさせてもらいました。

オーナーが普段から施術現場にいないため、施術プランから、施術方法、全てを自分で考えなければならない状況だったからです。

 この業界では、多くの人が手取り足取り教えて欲しい、という考えを持つせいか仕事に対して失敗を恐れる傾向にあります。

確かに、施術という人の体に携わることでの失敗というものは避けなければいけないことです。

ただ、目の前の患者さんを助けようとする時、誰かが助けてくれるか?というと、誰も助けてはくれません。

むしろ、自分自信が強い心をもって、目の前の人を助けるという覚悟をもちつづけることが必要です。

この時には、主に、施術家として大事な精神的な強さを磨くことが一番の勉強になったと思っています。

さらなる実力を身につけるために

以前の職場を諸事情で離れなければいけない状況になったことで、私は次の進路を考える必要が出てきました。

開業することも考えましたが「もっと自分の実力を磨きたい!」と思い、関西でも実力派で有名なコバヤシ接骨院に入社することを決めました。

日々の研修は覚えることも多いので、大変なこともありますが、実力は目に見えて伸びているのを実感しています。

 当時の私と同じように、病院からも見放され、日々の生活に不安を感じるような方をこれからドンドン助けていきたい!

過去の自分が救ってもらえたように、自分がそのような存在になれるよう、もっと技術を磨いて精進していきます!