コバヤシ接骨院・鍼灸院 代表
内臓調整・頭痛改善の スペシャリスト
1981年生まれ 大分県出身
コバヤシ接骨院・鍼灸院 代表
柔道整復師、鍼灸師
ジオン療法セラピスト
※院外活動
総合格闘技道場GROUND CORE トレーナー
プロ柔術MATSURI リングドクター
アマチュア格闘技イベント レグナムジャム リングドクター
「明治東洋医学院専門学校 鍼灸科卒業後、明治東洋医学院専門学校 柔道整復科を卒業しました。 国家試験取得後、接骨院・鍼灸接骨院・介護施設での臨床経験を経て平成22年コバヤシ接骨院・鍼灸院を開業致しました。
現在格闘技トレーナーをしていますが、私自身も選手経験者です。
施術家になるまで
幼少期〜中学生時代
以外に思われる方も多いのですが、私は大分県の出身です。
母が他の実家が大分で、モノ心つく前に京都に帰ってきたので、大分や九州の方言が全くわからない九州男児でした(笑)。
幼稚園までは活発な性格で何にでも興味を示し、やんちゃ盛りだったようです。
小学校の頃から少し内気になり、中学時代は家にこもってTVゲーム三昧のいじめられっ子街道を邁進していました。
正直このころはあまり良い思い出は無かったですね。
高校時代 自分を変える為にはじめた柔道
『このままではいけない!』と思い、現状を変える為に高校時代は柔道部に在籍。
インターハイ選手を排出するような強豪校だったため練習はとても厳しかったです。
日々の練習は厳しくつらいものがありましたが、身体が強くなり、大事な仲間が出来て本当に充実した毎日でした。
この時の仲間とは未だに交流があります。
ところで、この三年間で数えきれない程のケガをしました。
骨折に始まり、むち打ち、腰椎分離症・すべり症・全身の捻挫など…全身を余すところなく。
おかげで試合での結果は振るわず枕を涙で濡らすことも多々ありました。この頃に負ったむち打ちを中心としたケガが、後々の私の生活に支障をきたす原因になります。
因縁の頭痛発症と決意
高校を卒業してからのある日のこと、突然左半分の視界が全く見えなくなり、激しい頭痛に見舞われました。今までに経験したことの無い激しい頭痛です。
病院にいきましたが異常は見つからず…
『こんなに痛いのに異常がないなんておかしい』その後も定期的に頭痛は襲って来ました。
その度に病院で検査という検査を受けましたが結果は『異常なし』
…今考えれば、完全に偏頭痛の発作です。
ここからは日々が頭痛におびえる毎日です。
『またあの頭痛が出てきたらどうしよう…』頭痛を改善するため色々なことをしました。
頭痛外来をはじめ、マッサージ、整体、整骨院…頭痛に効くと言われれば何でも試しましたが、自分の悩みを改善することはできなかったです。
この頃から『改善する方法が無いなら自分で何とかしよう!』と思い始めました。
これが、私が施術家を志したきっかけです。
専門学校時代
はやく一人前になりたい…という思いで、在学中に見習いという形で丁稚奉公をはじめました。
朝は6時に起床、7時半には出勤し午前の診療を手伝い、お昼からは養成施設の学校へ。夕方からはまた接骨院で勉強し、夜は家で学校の復習と施術法の勉強。
この時期が最も不健康だったかもしれません(笑)
時に頭痛に倒れながら詰め込み詰め込みで勉強に励みました。この時期が私の施術家の基礎を築いてくれました。
国家試験に合格!そして…
連日の勉強に次ぐ勉強の努力の末、鍼灸の国家試験に合格。
この時の達成感はすごかったですね!しかしながら、私はこれで満足はしませんでした。
『より深く学ぼう!』という思いから、柔道整復師になるべく新たな勉強を始めていました。
結果、鍼灸の学校を卒業した翌月には柔道整復の学校の入学式に参加していました。本当に在学中はよく勉強したと思います。
今でも勉強の習慣は続いており、施術に関する書籍やDVDを読みあさり、勉強会にも月に40時間以上は参加しています。
修行
鍼灸師の資格を得てからは、2人目の師匠に付き5年間お世話になりました。
副院長というポジションも与えてもらい、技術・心構えなどを教えてもらい当時の師匠には本当に感謝しています。
この時には自分の施術法を確立していて、自身の頭痛はほとんど感じないようになっていました。
『頭痛をこの世から無くす!』という思いから開業
研究に研究を重ね、頭痛に対する考え方・施術法を確立。
同時に自分の頭痛も消えていました。
『自分の頭痛はなくなった。でも、頭痛に苦しんでいる人は沢山いる…』
こうした人たちの手助けをしたい。自分のように頭痛のことを考えない生活を送って欲しい。という思いから頭痛専門院の当院を開業。
『頭痛をこの世から無くす!』という理念を掲げ、今日も技術を磨き続け施術に励んでいます。
代表インタビュー
仕事をする上で大切にしている事を教えてください。
「私は当院にお越しの皆様に必ずこう聞きます。
『今あるお悩みが無くなれば何をしたいですか?』と。
我々の仕事で痛みを取る努力をすることは当たり前だと思うんですよ。
それに加えて、目標に向かってのメンタルサポートや具体的なプラン提示をするよう心がけていますね。
目指すものがあるのとないのとではお客様も施術に対する熱意が断然変わってきますね。」
院のこだわりを教えてください。
「ずばり!清潔・笑顔・温かい雰囲気ですね(笑) 特にトイレの掃除には力を入れています。
どこでもそうだと思うんですがトイレが汚いところって嫌ですよね。
あっ!施術面での話でしたか?(笑)
私は、全身余すところなくケガをしたものです。
中でも『ムチ打ち』『坐骨神経痛』にはひどく悩まされてきました。
これらの悩みから自身が脱却したい。
そういう思いから、独自の施術『ムチ打ち改善プログラム』と『坐骨神経痛改善プログラム』を生み出しました。
現在では、このプログラムを受けに遠方からもクライアント様がお見えになります。
現在でも『ここでしかうけられない施術』を追及するため、月に20時間以上のセミナーや勉強会に参加し努力しています。
院長 永野 インタビュー
1995年生まれ 愛媛県松山市出身
コバヤシ接骨院・鍼灸院 院長
愛媛県松山市出身
鍼灸師国家資格取得
趣味
・空手(如水会館)・合気道(イタリア留学の経験あり)
・バドミントン・バスケットボール
河原学園専門学校卒業。
在学前・中にマッサージ店・整体院にて修行
鍼灸科にて国家資格取得後
コバヤシ接骨院・鍼灸院勤務
オステオパシーの修行をへてコバヤシ接骨院・鍼灸院院長就任
現在年間約2800件以上のクライアントの施術にあたっている※2023.11現在
どんな想いで施術にあたっていますか?
『現状は変えられる』そんな思いで施術にあたっています。
私の話で言うと、小学生の頃に部活のバスケで膝を痛めてしまい、約10年その痛みと付き合ってきました。
痛みが出始めた当初は、この痛みをなくしたいと思い病院に長い間通いましたが、痛みは取れることなくいつしか諦めてしまって、痛みを誤魔化しながら体を動かすようになりました。
そんな時に、私の体を変えてくれたのが整体でした。
整体を続けていくことで、今まで普通だと思っていた膝の痛みはなくなり、思いっきりバスケを楽しめるようになりました。
こういう原体験があるからこそ、痛くて普通・体がだるくて当たり前、そんな現状を変えることができる可能性が整体にはあるんだよーということを知ってほしいですね。
仕事で大事にしていることはなんですか
常に技術と知識の研究を怠らないことでしょうか。
初めて私が担当するクライアントは院長の肩書きをいただいても、どうしても代表と比べられてしまうことがあると思います。
そういった時に「あ、担当は代表じゃないんだ…」という感じでがっかりして欲しくないんですよね。
ただ、こういうことって、肩書きや口でどれだけ「自分は出来ますよ」と伝えても、本当の意味で信用に繋がらないと思うんです。
じゃあ、どこで信用してもらうかというと、自分の技術と知識を磨いて納得に足るものを提供していくしかない。
そのためには、常に勉強して技術を磨いていくことが一番だと思っています。
今でも最低月に一回、個人的に技術研修に参加して研鑽に励んでいます。
これから来られるクライアントへ一言
例え時間がかかったとしても現状は変えられるということ。
私自身の体験もありますが、今まで担当させていただいたクライアントの現状が整体で変わっていくのをたくさん目にしてきました。
例えば、長年付き合っている痛みだったり、内臓の不調だったりとさまざまです。
そういった状態が整体で変わっていく、人間の体って本当に可能性の塊なんだなと日々実感します。
もし、「もうこのままなのかな・・・」と考えているなら、最後に整体という可能性を試していただきたいですね。